地元につたわる雪姫の伝説。
本やブログによって細かい設定は違うのですが、こんな感じの話です↓
「三瀬の変が起きたとき、雪姫は捕らえられ、東御所の桜の木に縛り付けられる。
どこからともなく白い狐がやって来て雪姫を助ける。」
東御所は北畠氏の本拠地霧山城の近くにあった別邸です。
先に紹介した史料『北畠御所討死法名』では田丸城で亡くなったとしています。
信雄は北畠の家督を継いだ後、田丸城に移りました。妻である雪姫も田丸城(もしかしたら千代)に移ったのではないでしょうか。
しかし、1997年に出版された『美杉村のはなし』では雪姫はちょうど「里帰り中」だったということになっています。
この本は地元の方々に伝わる話を聞いてまわり執筆されたものらしいです。
(ちなみに雪姫伝説以外にも興味深い話がたくさん載っています。)
この本にある雪姫伝説の記述で気になるところがありました。
一部引用↓
“もがく雪姫さまを御所の庭の桜の木に縛りつけたあと、御所に火を放つと敵は引き揚げて行った。
(中略)
雪姫さまはひとり、声を上げて泣いた。
と、そのとき、どこからともなくねずみが一っぴきあらわれたと思うと、雪姫さまの膝に駆けのぼり、みるまにカリカリと縄を噛み切った。
「ねずみよ、ありがとう」
雪姫さまは礼をいうと、近くの山の中に逃げ込んだ。”
この後、雪姫は自害をしてしまいます。
私は引用箇所を読んだとき、
「ん?ねずみ?キツネじゃなかったの?」
と気になりました。
「雪姫」
「桜の木」
「ねずみ」
…これは歌舞伎の「金閣寺」だ!
雪姫を助けたのが「ねずみ」になっているのが地元の方から聞いた話そのままなのか著者によるアレンジなのかはわかりません…。
でも、地元の方に「ねずみ」と伝わっていたとしたら…
雪姫伝説の元ネタは「金閣寺」なのではないでしょうか?
歌舞伎の金閣寺についてググってみたら、元は文楽だったんですね。
作者は中邑阿契。
初演は1757年。江戸中期ですね。
三瀬の変から180年以上経っています。
中邑阿契が雪姫伝説をヒントに創作したのか、
それとも「金閣寺」が元になって伝説ができたのか…うーん。
ここからは私の妄想です。史料がないので妄想としか言えません。
江戸時代、いわゆる素人歌舞伎 とか地芝居が流行りました。
歌舞伎の演目を地元の農民が自分たちで演じて村のみんなに見せるんです。
津市周辺で地芝居があったのかどうかわかりません…
でも、もし、江戸時代、津市周辺で「金閣寺」(祇園祭礼信仰記)を地元の農民が演じていたとしたら…?
松永大善→織田信長
雪舟の孫娘雪姫→北畠具教の娘雪姫
と、地元向けにアレンジして上演したのでは?
そして北畠の悲劇の歴史と混ざっていつしか雪姫伝説となっていったのでは…
はい、妄想です。こじつけです。
でも、「金閣寺」が元になったとすると千代御前がなぜ雪姫と呼ばれているのかも納得できるんですよね。