神戸友盛の娘(一説には高野可夕からの養女)、織田信孝の妻について。 勢州軍記には詳しく書かれていませんが、神戸良政(能房)が編纂した『伊勢記』、そして良政の近しい人が書いたのではないかと考えられる長覚寺の北畠源氏系図には彼女に関する記述がありま…
久々の更新です。 平成のうちに更新する予定だったのですが、諸事情で遅くなりました。 さて、今回は愛知県岡崎市にのある神社に「千代御前」が祀られているらしい……という話です。 須賀神社です。 ウィキペディアを見ると 主祭神の項に 「素佐之男命、応神…
北畠研究会様、ネタにマジレスいたします。 北畠研究会「北畠氏学講座」はある実在の人物を名指しで批判し、自説の正当性をうったえています。 引用します。 ・北畠有馬家・ 有馬昌範が再興してから、範顕まで京都で過ごすが、幕末の動乱により滅亡してしま…
北畠御所討死法名の記事で、坂内具信と北畠具房が混同されていると指摘しましたが、 http://sukoyaka1868.hatenadiary.jp/entry/2018/05/28/191123 ウィキペディアの北畠具房の項目でも具房と具信(萬輔)が混同されています(゚o゚;; 北畠具房の戒名が萬輔の法…
雪姫(千代御前)の記事で 史料「北畠御所討死法名」は三瀬の変から33年経た慶長十三年に書かれたものであると紹介しましたが、 http://sukoyaka1868.hatenadiary.jp/entry/2018/01/08/103901 私の早合点でした。すみません。 『三重県史 資料編』の目次見る…
鳥屋尾石見守満栄に関するネット情報について ・三瀬の変の時、田丸城から身重の北畠具房室鶴女を井上専正と共に救出し、北畠家臣の吉田大悪才の屋敷にかくまう ・具教の弟具親が挙兵するとそれに従って挙兵するも川俣の戦いで討死する という話をネットでは…
井上専正 でネット検索すると出てくる情報を簡略にまとめると、 井上専正は北畠家臣で、織田信長との戦いに多数出陣し戦功をあげる。 三瀬の変のとき、北畠具房の妻、鶴女を鳥屋尾石見守と一緒に田丸城から救出し、同じく家臣である吉田家にかくまう。 この…
千代御前が三瀬の変で亡くなったとする史料が『北畠御所討死法名』以外にもあったので紹介します。 『多芸録』 図書館で写本を見てきました。 いつ頃書かれたものなのかわからないんですが… 多分、江戸中期以降かな?て思います。 信雄が寛永7年に亡くなった…
地元につたわる雪姫の伝説。 本やブログによって細かい設定は違うのですが、こんな感じの話です↓ 「三瀬の変が起きたとき、雪姫は捕らえられ、東御所の桜の木に縛り付けられる。 どこからともなく白い狐がやって来て雪姫を助ける。」 東御所は北畠氏の本拠地…
雪姫/千代御前が三瀬の変で死んでいないと推測できる史料を見ていきましょう http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=096-0185&PROC_TYPE=ON&SHOMEI=織田信雄分限帳&REQUEST_MARK=96-185&OWNER=国文研鵜飼&IMG_NO=2 「五…
織田信雄の正室、北畠具教の娘。 信雄の妻についてググると三瀬の変に遭って死んだと出てくる一方、生きて信雄と添い遂げたとも出てきます。 一体、どっちなの? ▶︎三瀬の変とは 天正四年11月25日(1576年12月15日)に伊勢国三瀬御所の北畠具教や同国田丸城…
歴史のちょっと気になることを調べていきます。できる範囲で。 Googleと図書館をフル活用。 ※私は歴史好きですけれど、大河ドラマを見たり歴史小説や漫画をたまに読む程度の素人なので、私のブログを鵜呑みにしないようお願いします。 素人の浅学で調べ考え…